夜中に降っていた雨はあがり
今朝は濃霧のなかを出勤
雨粒が流れ落ちる車のフロントガラスごしに
霧の向こう、ぼんやり光る太陽
今の自分が重なるようだった
こうなりたいな、ああしてみたいなという
たどり着きたいビジョンがぼんやりと頭のなかにあって
たしかにそこは光輝いているけれど
よく見えないからゆっくりと進まねばならず
でも霧はいつかは晴れるから
そのときを信じて進めばよい
マイペースに
ふと頭のなかにメッセージがおりてきた
『そのままのあなたでいいよ。』
母からの言葉だと受けとめた
運転しながら不意に涙がこぼれ落ちた…
昨日の(日)は叔父の四十九日・納骨式へ家族で参列してきた
父の長兄であり、生涯独身だった叔父
私の母と祖母が眠るお墓へ入ることになり
実は今回、叔父の納骨と同時に
母の遺骨を取り出すことになっていた
それは私自身が15年ほど前から密かに望んでいたことであり
やはり故人の願いでもあったのだと、知ることになったこの夏…
今年は、まるですべてが最初から決められていたかのような
そんな一連の流れが、タイミングよく続いた年だった
これは私と母が一緒に写っている数少ない写真の中の1枚
私が3歳の誕生日を迎えた月に、30歳で病死した母
私が大人になってから親類に聞いた話
父は昔から無宗教者だけれど、母は生前キリスト教信者(エホバの証人)だった
宗教上、本来は葬儀は行わず共同墓地に納骨するのが決まりだそうで
しかし母が亡くなった当時、母の実家がある熊本の家族から
『それではあんまりだ、かわいそうだから一般的な仏式の葬儀とお墓に納骨をしてあげてほしい』
という要望もあり、父の兄弟も同意だったようで
まだ若かった父も母のためにそのときお寺の墓を購入したそうだ
そんな話を初めて聞いたのが、私が25歳ごろのとき
子どもの頃からずっと不思議に思っていたナゾがとけた
実家の押し入れの奥に古い聖書があったこと
あれは母のものだったのだと
私はてっきり、父のものだと勝手に思い込んでいた
つづく…