父の昔の職場、有名な廃墟スポットだった『ムーラン乙女』
父の日は過ぎてしまったけれど
その数日前に実家で久しぶりに父の若い頃のアルバムを見て借りてきたので
タイトルのとおり昔の職場についても含め
父のことを話そう
私の同級生や、Facebookでつながっている友人の一部はご存知かと思いますが
父は料理人です
上の写真は、私の出生地でもある静岡県のレストランに父が勤めていた頃のもの📷
一人娘の私が言うのもなんですが
なかなかのイケメン✨
いま隣に父がいたら
『今だってイケメンだろうが~!』
って声が聞こえてきそうだけど(笑)
アルバムを借りてきたのは
子どもたちに、ジイジは長いことこんな感じのシェフをしてたんだよって見せてあげたかったから(^^)
来月62歳になる父
現在も県内の某有名な飲食店の厨房で働いていて
家族で何度もそこにも食事へ行ってるけれど
娘の私としては、やはりコック帽と白服の料理人姿の父を子どもたちにも知っておいてほしかったから😌
たまに実家へ行くと、毎回必ず手料理を持たせてくれる父
たくさん作って冷凍保存しておいてくれることが多く
定番はミートソースやハンバーグ🎵
子どもたちも大好物😋🍴💕
たぶん、娘(第2子)が生まれてから私自身は1度もミートソースとハンバーグを作ったことがない😅
つい先日はカボチャのクリームソースも持たせてくれて
コロッケにしてもいいしグラタンでもいいしと言われ
揚げ物が面倒だったので、翌日のランチにチーズをのせてグラタンに😊
3人で食べるには量が少なかったので
パスタと一緒に取り分けるように食卓へだしたら
子どもたちモリモリ食べる❗
台所で簡単に片付けを終えて私が座る頃には…残りわずか
『ねぇーっ!お母さんグラタンほとんど食べてないんだけど!残しておいてよぉ o(T□T)o 』
『だぁっておいしいんだもん、もうないのぉ~?』
…という具合💧
そんな料理自慢の父、昔はフランス料理のシェフで基本的に洋食専門
子どものころ実家の押し入れに
英語ではなくフランス語?で書かれたレシピノートがしまってあった段ボール箱を見つけたのを思い出す
ノートはきっと父の手書きに違いなく
なんかカッコいいなぁ~
お父さんスゴいなぁ~
って思ったことを覚えてる
父自身は子どもの頃から料理が好きだったそうで
母親が作るものよりオレが作ったほうがうまい❗
そしてこの道で進もうと決め
中卒で料理の世界へ入ったんだそう
当時の山梨県内に洋食の洒落た店なんてなかったことは私にも容易に想像できる
ちょっと記憶は曖昧だけど
たしか名古屋や神戸にもコック見習いでいっていた時期があると聞いた
毎日鍋番でひたすらスープをかき混ぜたりアクとりしたりとか
玉ねぎの皮むきやみじん切りを1日中するとか
そんな修行時代を過ごした後に活躍した場が
風車が目印のスカイレストラン
『ムーラン乙女』
御殿場から箱根へ向かう道沿いにある、富士山の眺めもよい場所🗻
閉店してからも
有名な廃墟スポットだった場所で
心霊スポットとも呼ばれていたので
(⬆これは心外)
よく知られているレストラン
名前を検索してみるとたくさん出てきます💧
私も大人になってから1度だけ、デートがてらこの廃墟に入ったことがある
出生から、母が亡くなる3歳までを御殿場で過ごした私
でも残念ながらその頃の記憶はほとんどない
ただ、当時この父の職場に遊びにいったことは思い出のワンシーンみたく覚えていて
ノスタルジーな気分に浸りながら敷地内を見て回った
長い年月が過ぎ、7~8年前くらいだったかな
中国オーナーの出資でリニューアルオープンした
形式がどうであれ、当時の風車建物を残す形でのオープンとなったので
完全に取り壊されることなく
私はうれしい(⌒‐⌒)
私が閲覧したリンクをいくつか載せておくので
廃墟好き、興味のある方はどうぞ~
よく見ると
冒頭に載せた厨房の写真と同じ配膳用エレベーターの写真もちゃんとあります👇
⚫廃墟ちゃんねる ムーラン乙女 2012
⚫廃墟写真館 ~ムーラン乙女篇~
http://hibarilove.fc2web.com/photo/muran.html
⚫心霊スポット巡礼 フォレストページ
ほかにも父の若い頃の写真をいくつか紹介📷
この左下に写っている女性、一見私の亡き母だと思われそうですが
違います(笑)
もちろん私は母ではないと最初からわかってたけど
社員旅行?らしい何枚かの写真のなかで
女性とのツーショットはこの1枚だけだったので
『この人は誰?』と父に聞いてみたら
『お~それは社長の娘だ。かわいかったんだけどなぁ~早くに結婚しちゃったからなぁ』
その口ぶりからすると、母と出会う前に狙っていた女性かも❔!
ま、そのへんはあえてつっこみませんでしたが(。-∀-)
服装が時代を感じさせますねぇ(*´∀`)
40年くらい前だよね
けっこうオシャレさんじゃない?
それにしてもどれも似たような、俳優気取りのポーズばかり(笑)
そこをつっこむと
『昔はなぁ、男はみんなかっこつけてこういうポーズで撮ったんだよ!』
だって😁
そう言えば父がよく口にしてた言葉
『オレもな、もう少し背が高ければ芸能界入りを目指したんだけどなぁ~』
料理もだけど、子どもの頃から映画好きだった父
ふざけ半分ではなく、わりと本気で考えていたらしい❔!
父の身長163センチ、私165センチ
10代後半で父の身長を越えました(笑)
話かわって、ふと思い出したこと
静岡から山梨に戻り、私が小学校の低学年だった頃に父が働いていたレストラン
20号線沿い、アピオがあるちょっと手前の現在は古着屋だったかな?
その場所に当時の山梨ではすごくオシャレな雰囲気だったであろうレストラン
お店の名前は『ドルフィン』🐬
名前のとおり、イメージは湘南のような
青と白を基調にした明るい店内🌊✨
そこでも何度か食事したのを覚えてるなぁ…
どなたかその店を覚えている方がいるだろうか?
いるとしたら、現在50代~60代だと思う
父について、まだまだ書きたいネタはたくさんあるので
また改めて書くつもり😊