山梨が好き!やすらぎ案内人*ひろみ*

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それぞれの思い…宗教とお墓問題②

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これは叔父の遺品整理をしていて出てきた、母が生前に書いたハガキ
母からみて姑であった、私の祖母に宛てたもの✒

お母さん、とってもきれいな字を書く人だったんだなぁ…

生前の母を知る存在が、またひとりこの世から去ったんだなぁと

このハガキを手にしたときしみじみそう思った

叔父は生前、母が亡くなった当時から母子手帳も大切に保管していてくれて
それを私が大人になったとき手渡してくれた

わずかなからも母と私が過ごした数年の記録であり
私にとっては大切な形見のひとつ📔

父と違って、なんでも大事にとっておく人だった叔父

ひとり暮らしのわりにモノが多くて
住んでいた団地部屋の片付けも遺品整理も一苦労だったけど
大切な思い出の品を残してくれた叔父に
今は改めて感謝😌


前回の日記はこちら👇
aoikaze-hiromi.hatenablog.com


後に父から聞いた話をもうひとつ

エホバの信者だった母がまだ健在だった頃
幼い私を抱いて伝道活動の戸別訪問をしていたんだそう

もちろん私自身はまったくその記憶はなく
母がエホバの証人だったことについても、大人になってから初めて聞いて
自分でも調べてみて内情を知った

無宗教者である父は、母の意思を尊重して自由に活動させていたようだけれど
悪く言えば無関心だったのかもしれない
(このことについて父と深く話しあったことはない)


私が子どもの頃は自宅にも
ひとり暮らしを始めた家にも
エホバの伝道者は来ていた

私はその人たちをなんとなく邪険にはできなくて
毎回冊子を受け取り、ある程度は話を聞いていた
(それ以上でも以下でもなく)

不思議なもので
亡き母もエホバだったとは知らなかった、私が小学生の頃から大人になるまでずっとだ

一人っ子で鍵っ子だった私は
学校から帰宅してひとりで留守番しているときにも
何度かエホバの人が来て話をしたことを
ぼんやりと覚えている




結婚して、長男出産を機に引っ越してきた現在の地域でも
始めの頃はやっぱりエホバの訪問があり
こんな山里の地域にも来るんだ…と
当初驚いたことを覚えている

どこへ行っても亡き母が彼らを引き寄せてるのかな、とか
まじめにそんなふうに考えたときもあった


その後仕事復帰して、日中自宅にいることがほとんどなくなってからは
自然と訪問も途絶えた


もしも母が病死することなく、エホバの証人として生き続け
その母に育てられていたなら
私は今とはまったく別の人生を歩んでいただろう


エホバには独自の決まりごと、禁止事項がいくつもあって
例えば
・誕生日のお祝い禁止
・クリスマス、お正月、七五三などのお祝い禁止
・格闘技や危険なスポーツ(スカイダイビング、スキューバなども)禁止
・テレビやネット禁止
・国歌、校歌などを歌うこと禁止

音楽のジャンルなど娯楽もかなり限定されるので
私にはとてもあり得ない、考えられない生活

なかでも、映画にもなったほどの問題テーマである

『輸血拒否』

これについては、私自身も一番気になった点で

もしも母がエホバではなかったなら
輸血拒否をすることもなく、命を落とさずに助かっていたのかもしれない…

そう考えずにはいられなかったからだ

当時、乳ガンであることがわかったときにはすでに遅く深刻な状態だったようで
それでも母は、自ら苦しみを選択した


叔母から聞いた話では
入院しても痛みは治まらず
その痛みに耐えきれず狂ったような母を
見るのも辛かったと…

きっと思い出したくもないのだろう
父からは、そういう話を聞いたことはない



キリスト教のなかでも異端が組織といわれるエホバという宗教

でも私は、恨むつもりはまったくなくて
むしろそこまで母が信心していたものならば
故人の意志を尊重してあげたいと、素直にそう思った

だからこそ、母の遺骨を本人が望んでいたであろう場所へいつか移してあげたいと
そう考えた

それが前の記事にも書いた、私が長年密かに望んでいたこと…

夫にもそのことについては結婚前に打ち明けていて

当時友人から紹介してもらった、スピリチュアルリーディング・カウンセリングができる女性にも相談したことがあった


そのときは、母がサブの守護霊としていつもそばにいること
私自身はシスター(修道女)だった前世があること
そのときにも醸造用のブドウ作りをしていたことなどがわかり
すべてがスッと納得できた


母のお墓移動については

『今はそのときではない。いつかよいタイミングがやってくる』

というようなことを言われた



それから10年以上の年月が過ぎ

やっと、そのときがきたのだった



まだ続きます…💦💦
ここまで長文を読んでくださりありがとう😌